マリキン年表②
マリキンの薬歴[Aクリニック]
マリキンの薬歴[Bクリニック]
デパケンシロップ・錠剤
(4歳 ~ Bクリニック転院まで)
【個人的な感想】
癇癪を起しにくくするために飲んでいたデパケンは服用している量も少なかったからか、
効いてるんだか効いてないんだか、って感じでした
ストラテラシロップ
(5、6歳くらい ~ 7歳くらいまで(※デパケンと併用))
少し効果は見られたようでしたが(指示が入りやすい)、シロップがまずかったらしく(量も割と多い)、服用できなくなりました
副作用も少なく、ADHDの症状を抑えるために、薬を長期で飲むんだったら、
これが一番いいかな、と思っています
(7歳・8歳 の夏休みに挑戦(※不眠が強く出るため、すぐに服用中止)
コンサータは、服用するか、ずいぶん迷いました。
うちの場合は、年齢的に本人がどう、というより、本人が起こすこだわりの強さや癇癪やその他もろもろ…に、私や家族がしんどくなったので、服用にチャレンジしました
結果は2度とも、不眠が強すぎて、無理でした
2週間~1か月続けてみましたが、昼寝などなしで、朝7時前に置き(そのときにすぐに薬は服用)、夜は12時過ぎまで全く眠れない、という状態で、私も本人もとてもしんどかったです
学校の先生方からは、常に喉が渇いているみたいでしんどそうだし、遊び方も変わってしまって、マリキンらしくない。マリキンの(支援学級の)友達も困惑するくらい、とのことでした
本人も「楽しい気持ちが半分になる」とのことです
今のところ、マリキンの場合、学校生活においてもそこまで支障が出ていないし、今起きている問題(昼夜逆転・切替が遅い…など)は、薬以外で何かできるのでは、と考えて、コンサータは服用していません
(Bクリニックのお医者さんからは、インチュニブの服用を薦められていますが、今のところイニュニブも服用していません)
(こちらは前のブログを再編集したものになりますので、投稿された時系列とは関係ないものになります。実際にブログを書いた日についてはタイトルに記載しております)
半年前から完全不登校のマリキンですが、実は完全不登校になってしまう前に、私とスクールカウンセラーさんとで放課後デイサービスを探し始めていました。
マリキンにとって、学校へ行くということ自体、ハードルが高いんですよね…
学校では「〇年生はこんなふうにふるまわなければいけない」「あいさつしないといけない」「くつはそろえなければならない」、小学校1年生から刷り込まれた色々な「~ねばならない」がマリキンを苦しめているように見えました。
学校で教えてくれるそういうことって出来たら素敵なことだけど、本人の努力では難しいことを「~ねばならない」としてしまうと学校という場所そのものがつらくしんどい場所になってしまいますよね。(先生がそう教えた、というより、学校全体の雰囲気がそんな感じです)
そこで、まず外へ出る初めの一歩として、放課後デイサービスを利用してみよう!ということになりました。
以前も放課後デイサービスは利用していたのですが、利用先の合併などで行かなくなってしまい、受給者証の更新も相談支援事業所の利用もやめていました。
今、マリキンが主にコミュニケーションをとるのは家族は母親である私だけ。
週に1回はおばあちゃんちに遊びに行くけど、家族です。
このままだと第三者との関わりが本当に少なくなってしまう。
それにやっぱり家以外にマリキンが安心して過ごせる場所が増えてほしい。
そんな思いから、もう一度放課後デイサービスを利用してみようということになりました。
以前は、相談支援の事業所も放課後デイサービスもほとんど私ひとりで探したり、手続きしたりしていましたが、今回はスクールカウンセラーさん(正式にはスクールソーシャルワーカーさん/以下SSWさんとします)も一緒です!
そしてSSWさんのアイデアで、まずは地域の障害者基幹相談支援センターに相談へ行くことにしました。
障害者基幹相談支援センターの存在は知っていましたが、こういうことで相談しにいってもいいんだと目からうろこが落ちる思いでした。
SSWさん曰く、こういう大きな相談窓口と繋がりをもっておくと、何か困ったときに、とりあえず相談してみよう、ということが出来るし、そこから専門的なところへも繋いでもらえるのでよいとのことです。
さて、障害者基幹相談支援センターへスクールソーシャルワーカーさん(以下SSWさん)と放課後デイサービスの相談にいった私。
放課後デイサービスも本当にたくさんあり、その目的もいろいろです。
小学校高学年になると、塾には通えないので、お勉強中心、というところもあるみたいです(私もあまり詳しくはないのですが…)
マリキンの場合、何かを身につける、という目的ではなく、安心して過ごしてもらいたいという感じなので、あまりきっちりしすぎていない、なるべく本人のペースに合わせてもらえるところを、とお願いしました。
基幹センターの担当さんから紹介してもらったデイサービスは、少人数でアットホームな雰囲気で、うちからも近いですし、送迎も有り!
担当さん自身も面識があり、空きもありそうなので、基幹センターから改めて空きがあるか、確かめてもらうことにしました。
私が確認してもよかったのですが、マリキンが幼稚園の頃、ひとりで放課後デイサービスや相談支援事業所さんを探していたときに結構断られてしまったことがあり…
その苦い経験から、だめだ、と言われてしまったら、私の心が折れてしまいそうで、今回は基幹センターさんにお願いしました。
それからしばらくてして、無事紹介してもらった見学に行くことが出来ました!
第一印象としては、本当にアットホームで、スタッフの方々も丁寧にこちらの状況を聞いてくださり…
特にマリキンがされたら嫌なこと、サポートが必要なこと、食べ物の好き嫌いなどを重点的に聞いてくれたのが、うれしかったです。
ここだったらマリキンも安心して過ごせるのではないかなぁ。
SSWさんの印象もよかったので、今すぐにとはいかないけれど、マリキンが行けるようになればいいなぁと思いながら、その日は温かい気持ちで帰りました。
ただ私から「放課後デイサービスに行かない?」と声をかけてしまうと、マリキンが「おかあさんが忙しいから行かなきゃいけないのかな」とプレッシャーを感じてしまうかも、と思っていたので、しばらくはデイサービスの話をしないでおきました。
そこから過呼吸があり、なんやかんやとしているうちに年が明けた頃…。
障害者基幹相談支援センターから一本の電話が入りました。
「以前見学に行った放課後デイサービスさんがあれからどうなったのか、心配されているそうです」
まさか、デイサービスさんの方からそんな風にご連絡頂けるとは思わなかったので、良い意味でびっくりしてしまいました。
障害者基幹相談支援センターさんにそのときのマリキンの状況を話すと、デイサービスさんの方も急にデイサービスに来るのは難しいかもしれないから、慣れてもらうためにも訪問してもよいと言ってくださっているとのこと!
そんなありがたい話はない!と、すぐに私の方からデイサービスさんへご連絡をし、再度マリキンの状況を伝えたうえで、できたら訪問から始めてほしい、とお伝えしました。
そこのデイサービスさんは不登校の子も受け入れをされているからか、快く了承してくださり、1月から今まで、週2回、訪問してくださっています。
障害者基幹相談支援センターの担当の方も、デイサービスさんも、お母さんは大丈夫ですか、無理なさらないようにしてくださいね、と声をかけてくださり、家族以外で自分のことを気にかけてくれている人がいるってこんなに嬉しくて、温かいんだなぁと、感謝しかありませんでした。
デイサービスさんが来てくれることが決まってから、マリキンが「行きたい!」といつ言いだしても大丈夫なのように、受給者証を再度取得することにしました。
ご存知の方も多いと思いますが、放課後デイサービスを利用するためには受給者証が必要です。
そしてその受給者証を取得するためには、利用者(うちの場合マリキン)がどのように過ごしてほしいのか、どんな困りごとがあって、また将来どういう風になってほしいのか、みたいな計画案を提出しなければなりません。(その他にも書類はたくさんありますが…)
もちろん家族がセルフで申請することも可能らしいですが(というか実際私はセルフでしようと思ってました)、障害者基幹相談支援センターの担当さんいわく、今後のサポートも含め、相談支援事業所さんを利用していた方がよいとのこと。
相談支援事業所さんはそういった受給者証の手続きや、実際放課後デイサービスを利用し始めた後、デイサービスと利用者の間に入って、いろんな調整をしてくれるところです。
例えばデイサービス先に直接聞けないことなども聞いてくれたりします。
ただ相談支援事業所さんは満員のところが多く、待機がある事業所さんもあるとのこと。
また一度利用すると長い人だと生涯にわたって利用されることもあるので、なかなか空きができることがないんです。
はたして見つかるのか、また私自身が話しやすい、相談しやすい事業所さんでないと意味がありません。
悪い?事業所さんがあるのか!というわけではなく、合う合わないがあるんですね…
ちなみに前の事業所さん、とても親身になってくれる方だったんですが、いかんせんいつも忙しそうでなかなか相談しづらい状態でした。
そういった経験も踏まえ、私自身が話しやすいと感じれるところ、出来ればマリキンが大人になっても続けてサポートしてくれるところを希望しました。
(事業所さんによっては、子供のみ、大人のみ、というのがあるんです)
相談支援事業所さん探しはデイサービスほど急いでいなかったので、これを機に、せっかくだから自分とマリキンに合うところをゆっくり探そう!と思っていました。
とはいっても、相談支援事業所さんもたくさんあり。どこかどんな事業所さんかも私には見当がつきません。
なので、デイサービスのときと同様、SSWさんに付き添ってもらい、相談支援事業所さん探しも基幹センターへ相談し、一緒に探してもらうことにしました。
さすが障害者基幹相談支援センターさん!
情報はたくさん持っていらして、いろんな事業所さんのお話を聞けました!
基幹センターさんからは前お世話になっていた事業所さんにもう一度お世話になったらどうか、と提案してもらったのですが、↑に書いたように、前の事業所さんはなかなかいろんなことを相談しづらく…モニタリングもほとんど電話で終わってしまうことが多かったため、別のところを検討したい、と思い切って伝えてみました。
(そこの事業所さんが現在待機もあったのもありますが…)
そしていろいろ悩んだ結果、基幹センターさんとSSWさん両方のおすすめである、相談支援事業所さんにお願いすることにしました。
おすすめのポイントとしては
・今まで子供から大人までいろいろなケースを対応されている
・家から近い
・支援員さんが親身に対応してくださる方が多い
でした。
実際に今まで何度かお会いさせてもらったのですが、とても丁寧で書類などの仕事もめっちゃ早くて、すごく助かっています!
マリキンとはまだまだこれからコミュニケーションを重ねていくことになるのですが、しばらくは月1回様子を見に来て下さるとのこと。
育児をしていると(特にシングルだと)、自分ひとりが子供のことを背負いこみがちです。自分の子供のことだから自分がやらなくちゃって…
でもこうしてデイサービスの方や学校の先生、相談支援員さんが訪問してくださることで、自分ひとりじゃないんだなって実感することができるので、本当にありがたいです。
まだまだ一歩進んで二歩も三歩も下がってしまうときもあるけれど、マリキンがマリキンらしく、いろんなところで過ごせるときが来たらいいなと思っています。
決めるのはマリキンです。
私は選択肢を用意するだけ。
これからも、その選択肢を少しでも増やしていけたらいいな。
うちの場合は相談支援事業所が途中で1度変更になっていて、デイサービスについては、数か所を転々とした後、今の状態に落ち着きました。
初めてデイサービスを利用しようとなったときに、私個人でパンフレットを見ながら近場の相談支援事業所に片っ端に電話で探したのですが、デイサービスを利用するってなったときはまずは市役所等で相談した方がいいと思います。場合によっては、障害者基幹相談支援センターにつないでもらえると思います(私個人の見解です)
でもどこの相談支援事業所さんもいっぱいで困っていた時、何件目かに電話した事業所さんで電話に出られた方が「私が引き受けましょうか」と言ってくださり、なんとかデイサービスの利用に向けて動き出すことができました。実はそこの事業所さんは障害児相談支援事業所の欄に名前は載っているけど、もともとは大人の発達障害の方メインだそうで、本当にご厚意で引き受けてくださったんだと思います。
そこから、何か所かデイサービスを利用してきましたが、マリキンに合わなかったり、デイサービス自体が合併でなくなることになったりが重なり、小学校3年生の頃にはデイサービスの利用をやめてしまっていました。
そのあとマリキンが不登校になり、受給者証の更新の際にお世話になっていた相談支援事業所さんの担当の方が退職されるということになり、いったんは受給者証の更新もやめ、私たちは相談支援事業所さんやデイサービスから離れることになりました。
デイサービスの利用を再開することになったのは、スクールカウンセラーさんのやり取りでした。
その後、スクールカウンセラーさんとは別の学校へ移られたことをきっかけにお会いすることはなくなってしまいましたが、スクールカウンセラーさんのおかげで、よい相談支援事業所さん、デイサービスと出会うことができ、本当に感謝しています。
今はデイサービスを2か所に増やし、中学生になって増やしたところは送迎なしのデイサービスなので、マリキンもがんばって通っています。
市の施設で行われていて、マリキンにとっては初めての場所。
家族に車で送ってもらったのですが、マリキン、車から出る様子なし…
教室の連絡すると、職員の方が車まで迎えに来てくれることになり、いざ職員さんに「一緒に行こうか」と言われると、職員さんの手を取り、あっさり車を出て施設のほうへ。
きれいな女性の方だったから?!ともちょっと思いました。
(男性全般が苦手なのはありますが…)
期間が決まっていて、半年くらいでしたが、幼稚園と比べ少人数制であることと、職員の方もほぼ個別についてくれるような状態だったので、行き渋りもなく、いつも楽しそうにしていました。
普段は私立の幼稚園に通っていたのですが、体調を崩すことも多く、どれだけマリキンの負担になっていたのか、よくわかります。
当時は私自身もフルタイムで働いていてどこかに預けなきゃという気持ちだったり、自分のことで手いっぱいであったり、わからないことが多かったので、マリキンにもだいぶしんどい思いをさせてしまったなあと今なら思います。
もっとマリキンに合う幼稚園を探すこともできただろうし、両親もいてくれたので、慌てて預ける必要もなかったかもしれません。
シングルだとひとりで抱えがちになるので、相談できる場所を知っておく、ひとりで抱えないというのは本当に大切だと思いました。
Bクリニックへ転院して、すぐに受けました。
検査用紙を自宅に持って帰って、答えを記入してきてください、とのことだったので、家で一緒に見ながらやったのですが、私から見ても、正解がよくわからない問題もありました。
あとはクリニックにて、K式同様、マリキンと専門家の方と1対1で行われました。
結果は、VCIとPSIが低く、全体的な認知能力は低めという結果でした。
特にPSIが低く、板書が難しいこと・またそういった行動に苦手意識があるのでは、と記載されていました。
検査を受けたのは小学3年生くらいだったと思いますが、連絡帳に明日の時間割とかを書くのができない、そもそも「書く」ということ自体が苦手なのは、私も強く感じていました。
あと自分の気持ちや状況の説明などを言葉で説明することも苦手だったので(VCIが低いのはたぶんそういうこと)、全体的にアウトプットが苦手なんだろうなと思っていました。
また手先の不器用さもK式のときと同様指摘されたのと、やはり聴覚的な情報より、視覚的な情報のほうが入りやすいということも書いてあったと思います。
それから驚いたというか、そういうことがあるのか、と思ったのが、周りにとって「当たり前のこと・教えられなくても自然とわかっている」でも、マリキンにとっては、「どうしたらよいかわからないことがあるかも」と書いてあって、この頃からしばらく、説明をとにかく具体的に、1からひとつずつ、細かく伝えようと思うようになりました。マリキンと接していて、自分が当たり前に思っていることに気づく難しさもすごく感じました。
中学生になった今は、何かを伝えるときは1つずつにすることで、マリキン自身がどうしたらいいかわからないということはほとんどなくなりました。
たまにバタバタしているときに私の指示が雑すぎて、「え?どういうこと?」って聞かれちゃうことはありますが…笑
この頃にクリニックで言われたことだと思いますが、VCIが低いことで、社会的な年齢(精神年齢的な感じ?)が実年齢-2歳くらいだと言われ、小学3年生のクラスに1年生の子がいたらしんどいでしょう?そういうことですよ、と言われて、それはそうだな、と妙に納得してしまったのを覚えています。
社会性については、そう簡単に追いつくことはないので、今も周りと比べると、やはり幼くは感じます。
(この年頃だと男女差もある気もしますが…)
でも止まっているわけじゃない。
急に走り出すこともなくなったし、指示も1つずつであれば、口頭の指示で理解して動いてくれます。
(小学生の頃は指示を出す前に肩をたたいたり、こちらに注意を向ける必要がありました)
少しずつ確実に成長していることに気づいて、いつも嬉しくなります。
※4・5歳児発達相談・K式発達検査、のちに受けるウィスク4もですが、
すべて保護者と離れて、検査を受けるお子さんと専門家が1対1で行われます。
4・5歳児発達相談で、指摘された内容は以下のことでした。
・非言語的コミュニケーションの理解が難しく、具体的な説明が必要
・口頭での指示だと伝わりにくく、1度にたくさんのことを伝えると理解が難しいので、指示は1つずつのほうが良い。また視覚的な説明も効果的。
この2つは今でもやっています。たぶんもう私も慣れ?で、考えなくてもそういう風に言っているような気もします。
K式発達検査では、4・5歳児発達相談と同じく、口頭での指示の伝わりにくさと、ほかに手先の不器用さも指摘されました。
物ごとを見て覚えること・手本通りに実行することに関しては、標準より上という結果になりました。
(のちに受けたウィスク4知能検査ではまた違う結果が出るので、受ける年齢でかなり違うと思います)
特に問題なし。
離乳食が始まると、同時に偏食も判明
離乳食を食べなさ過ぎて、貧血になっていることが、感染症で受診した小児科の血液検査で判明
1年くらい鉄剤服用。鉄剤はシロップだったけど、嫌がらなかった
保育園に通っていたが、友達と遊ぶことはほとんどなかった
というか息子の視界に入っている感じがしなかった
歩き出すのは早かったが、1単語が多かったり、こちらのいうことに頷くだけ、など、2語文はなかなか話さないので、少し不安だった
※母)離婚に向けての別居開始
(精神的につらかった時期なので、マリキンが小4になったくらいまで記憶があいまいです)
地元に帰ってきてから、3歳半健診受診
言葉の遅れと落ち着きのなさを指摘される
環境の変化も大きかったので、少し様子を見るようにと、4歳になったら、4・5歳児発達相談を受けた方がよいと言われた
4歳になり、4・5歳児発達相談を受けた結果、クリニックの受診を進められ、Aクリニック(仮名)の通院が始まる。
クリニック受診、K式発達検査を受ける。
おそらくADHDではないか、と言われる(年齢が幼いためか、はっきり診断をつけない?感じ)
それと同時に、市立の児童発達支援センターの幼児教室へも通う(半年間)
幼児教室が終わった後から、デイサービスの利用を開始
体調を崩すことが度々ありながらも、登園を渋ることなく、卒園
いろいろな園内の発表会でも周りと浮くことなく、きちんとできていた
普段は落ち着きが無かったり、行動がワンテンポ遅れることなどはあった様子だった
支援学級に入るか、最後まで悩む
マリキンの様子を見た教育委員会の方にも、普通学級でで行けるのではないかと言われた
最終的には、支援学級に入らせてください。とお願いして、支援学級に在籍することになる